#02 干瀬・イノーの世界 ― 汀を持つ価値

#02 干瀬・イノーの世界 ― 汀を持つ価値

干潮時、島の沖に弧を描くサンゴ礁。リーフと呼ばれているが、奄美ではヒシ(干瀬)、ピシなどと呼ぶ。外海と内海をつなぐ。内側には浅瀬のイノー(礁池)を抱え、魚介類や海藻を育む。恩恵は海の幸に限らない。台風や季節による大波から島々を守る天然の防波堤でもある。沖と陸の中間に位置し、双方を紐帯する干瀬とイノー。それは琉球と薩摩の間に位置し、双方をつなぐ奄美群島のようでもある。どんな世界なのか。
  • 二つの存在をつなぎ、島人の自然観育む

    異なる存在がぶつかると、善し悪しは別にして新たな創造が生まれる。生命しかり、芸術作品しかり。干瀬では沖から寄せる波とサンゴ礁がぶつかり、白い波の花を咲かせ、音や香りをそよがせる。波と干瀬。液体と固体。まったく異なる存在が、繰り返し、繰り返し、あきることなくぶつかり合って「波の花」というまばゆい新たな創造を発する。人間社会には、立場や職業が違うにもかかわらず、不思議と話が合い、つい話し込んでしまう「異話響談」のような間合いがあるが、閃く波の花もそんな関係に見えてくる。
  • 「弧」を描く

    昔の、その昔から島の人々にとって干瀬は想いの糸を奏でる存在だったのか、与論島では干瀬を「ピシパナ」(干瀬の花)と呼び、宮古島では干瀬の白波を「糸の綾」と織物に例えられる。民俗学者・柳田国男は「海南小記」で「干瀬はさながら一筋の練絹のごとく、白波の帯を以て島を取り巻き」と書いた。 干瀬の形を見てみる。直線ではない。島の沖で弧を描いている。端の方は深みなっていて、沖から大型の魚や船が出入りできるようになっている。リーフギャップと呼ぶ。地図を広げてみると、日本列島も南西諸島も大陸の沖で弧を描いている。トカラ・奄美・沖縄の島々が「琉球弧」と呼ばれるのは、「弧」を描いているからだ。地図で見ると、日本は干瀬を大きくしたような弧状列島ということになる。 干瀬の内側の静かな池・イノー。海藻が育ち、魚を育てる海の保育所である。夜、潮が引くとイザリと呼ばれる漁をする場所でもある。タコや眠っている魚、貝などが採れる。シュク(アイゴの子ども)など小魚の群れも寄る。一方、子どもたちにとっては格好の海水浴場。干瀬によってサメの侵入も遮られるため、安全な天然のプールだ。
  • マブライムン

    ここで余談。30年前、徳之島の民俗研究家で故松山光秀さんと釣りを楽しんだ。島竹を切って釣り竿を作り、干瀬で糸を垂れた。画用紙にリアス式海岸を描いたように干瀬はいたるところ、へこみやくぼみがある。「そこの出っ張ったところはマタ、あそこのくぼみはコモイだ」。松山さんは、指さしつつ言った。陸地の地名のごとく干瀬のいたるところに名前が付いていた。干瀬は呼び名が付くほど人々の生活と密着していたことになる。 潮が動き出した。松山さんの竹竿がしなった。矢継ぎ早にしなった。「ハレィ、マブラッティ…」。暗号のような言葉が飛び出た。気になり、意味を聞いた。 「マブライといってね、きょうのように豊漁に恵まれたりすることを言う。カミに守られているという意味だね。守られているだけでは恵みに遭わないから、〝導かれて〟という意味も秘められている」 「どんなカミですか?」 「二つあってね、シュトゥキを掌握しているネィーラと身近なウヤホウガナシ(先祖)。シュトゥキというのはその日の天気、潮の流れ、風、水温など漁を左右する自然条件。ウヤホウガナシは〝道抱きの神〟として人の背後に付いて回り、危険から身を守ってくれる」 「ネィーラは自然そのものですね。自然がカミですか」 「ネィーラの神は、ひとつ間違えば生命を奪われかねない得体のしれない外側の神。ウヤホウガナシは内側のカミ。外と内のカミガミに守られ、導かれて恵みに会える人をマブライムンという。砂浜と干瀬(イノーを含む)と沖、そしてカミガミと人間がともに生活する空間。それがサンゴ礁の島です」 釣りをしながら、さりげなく先人の自然観に触れる。深い話を釣り上げたようで、聞いているこちらもマブライムンになったような気分になった。
  • 見直される「汀」の存在価値

    鹿児島と沖縄の汀(みぎわ、なぎさ)にある奄美の島々。双方をつなぐ地理性ゆえか、中世から明治まで琉球、薩摩に支配されたため、双方の文化が混淆し、沈殿する。その彩りは、鹿児島、沖縄という二者択一の物差しの前に、どっちつかずの「揺れるまなざし」と受け取られた時代があった。 時移り、多様な選択肢を重視する物差しの変換で、奄美自身が自身の魅力をはにかみつつ発信しつつある。汀そのものの存在価値を掘り起こす視点の発光である。居丈高に主張するのではなく、やわらかな、はにかみつつの発信である。常時表面に出て粗野に振る舞うのではなく、多くの恵みを潜ませて外海と内海をつなぎ、干潮時にのみ姿を見せる干瀬の装いに添う身の置き方である。
  • ユリムンの浜

    百合ケ浜。与論島の東に伸びる大金久海岸沖合い1・5キロにあり、春から夏の大潮の干潮時にだけ姿を現す。晴れた日の光景は、おとぎ話の世界だ。みずみずしい白砂。透き通ってキラキラ光る水色の海面。遠い、遠い真っ青な空。心地よい潮の香りを含んだ微風…。潮が満ち、再び水面下に隠れるまで約2時間。ウソのような、夢のような時空間を創出する。そのドラマを求めて今も人出が絶えない。 魅力はシンプルな原色の風景だが、いつでも見られるわけでなく、「期間限定」であること。春から夏、旧暦の1日、15日の大潮時前後3日間が見ごろ。潮位で言えば30センチ以下。浜の大きさや形は、天候や潮の流れによって変わる。秋、冬は店仕舞いである。 「花見」に見ごろという「期間」があるように、美しい存在というのは「滅多にお目にかかれない」という制約条件が付いて魅力を増していく。 与論島では干瀬をピシパナと呼ぶ。パナは花。漢字表記では「干瀬の花」となる。干瀬を花と呼ぶ感性が美しい。百合ケ浜の実態は通常の浜と違い、干瀬のように干潮時に島の沖に姿を現す「白砂の干瀬」だから、与論の言葉で言えば「白いピシパナ」となる。 現在の呼び名は、海に咲いたユリのようだから「百合ケ浜」になったと解釈されているが、本来は海からさまざまなものが寄ってくる「寄りむんの浜」の意。与論島の古称は「ゆんぬ」だが、これも「寄りぬ」から来ている。由来の通り、人が寄る浜である。